ハリー・マーコヴィッツ氏(1927-2023)に捧ぐ

FT記事より:追悼録

先週もたくさんの重要ニュースが目白押しの1週間ではありましたが、金融マンの端くれとしてはやはりこのニュースは外せない、と思うのです。ファイナンスという学問の基礎を築いた金融工学の泰斗ハリー・マーコヴィッツ氏が先月6月22日にこの世を去りました。

FT記事でもObituaryとして、かの人の業績を称えた記事が掲載されておりまして、何とも愛情にあふれたその追悼文が素晴らしいのでできる限りそのまま引用します。


金融市場に対する研究は2つの時代に区分できる。それはハリー・マーコウィッツ以前か以後か、というものだ。 

6月22日に亡くなった経済学者ハリー・マーコウィッツは、投資の意思決定に抽象的な数学的概念と厳密さを導入した最初の学者の一人である。そうして彼は金融市場を理解する方法に革命を起こした。マサチューセッツ工科大学の教授で『In Pursuit of the Perfect Portfolio』の共著者であるアンドリュー・ロー氏は、「誰もが分散投資について知っていた。しかし彼は、異なるかごに”いくつ”の卵を入れるべきか、そしてそれを体系的な方法で教えてくれた。」と語る。

マーコウィッツは、株価は将来の配当の現在価値であると読むことで重要な洞察を得ている。この定義では不確実性を考慮することが必要ない。現実には、株式は予想配当によってのみ評価されるのだ。この考えは博士論文に発展し、彼はポートフォリオ全体にわたる投資の最適化をモデル化した。この飛躍的理論は業界に広く普及し、マーコウィッツがいなければ現在の(世界の)形はなかったかもしれない、最適化とリスク管理の概念に焦点を当てた、現代のほとんどすべてのプロの投資理論は、この種の定量分析に基づいて構築されている。 

彼のイノベーションはまた、バンガードのような1兆ドル規模のパッシブ投資巨頭の誕生にも貢献し、その過程で、主に企業のファンダメンタルズや受け売りの知恵に頼って資金を運用するファンド・マネージャーや銘柄選定の専門家を駆逐した。 マーコウィッツの研究は、リスク調整後リターンのモデリングと測定の基準を考案したウィリアム・シャープによって更に発展したが、「ハリーの仕事がなければ、私がこの道に進むことはなかったでしょう」とシャープは語る。

1927年にシカゴで生まれたマーコウィッツは、食料品店を経営していたモリスとミルドレッドの一人っ子だった。大恐慌の時代にもかかわらず、いつも食べるには困らなかったという。シカゴ大学で教養を学び、修士号と博士号を取得するために経済学を専攻した。 ミルトン・フリードマン、レナード・サベージ、ティヤリング・クープマンズから学んだ。クープマンスの活動分析に関する講義は、効率性を定義し、効率的な集合を分析する枠組みを提供するものであり、彼の教育において「極めて重要な部分」であったという。

シカゴの後、彼は学問と実業での仕事を両立させた。「私はランド研究所で大きく成長しました」とシャープは言う。マーコウィッツもまたランド研究所でオペレーションを研究していた。 

リサーチ・アフェリエーツの創設者であるロブ・アーノットは、キャリアのスタート時からマーコウィッツの影響を感じていた。1977年、ボストン・カンパニーでの最初の仕事で、彼は二次計画最適化プログラムで経済学者のアルゴリズムを使ったという。 それ以来、彼はシステム投資帝国を築き上げ、世界中で約1300億ドルを運用している。

「ハリーは、自分が金融界を見違えるほど変えたことを知っていました」とアーノットは言う。「ハリー以前の投資は、経験則の塊だった。 彼のような驚異的な人物が亡くなると、彼を知的巨人として描くのは簡単だ。しかし、彼は親切で優しく、楽しいことが大好きな人でありました。」多くの友人や同僚が、マーコウィッツの破天荒なユーモアとオープンマインドについて語った。数学者が一生のうちに自分の研究がこれほど広範な影響を与えることは珍しい。しかし、システマティック投資やパッシブ投資への移行は、無批判に進んだわけではない。

「業界はこうした考えを受け入れるのが遅かった。 [マーコウィッツとシャープが)革新的であったことは確かだが、それ以上に重要なのは、彼らのサービスに対してかなり高い手数料、場合によっては5~10%以上の手数料を請求していた株式仲買人や金融業者の生活を脅かしたことだ」とローは言う。

マーコウィッツはパッシブ運用やシステム投資の伝道者ではなかった。マーコウィッツは、定量的戦略はそれを構築する思想家が優れているに過ぎないと考えていた。「彼は忍耐強く穏やかな人だったが、意図的な愚かさには忍耐強くなかった。彼は、人々が慎重に考えることなく、ただ数式に数字を放り込むことにいつも疑問を感じており、「それがなぜ起こるのか?」という問題にかかり切りだった。


年代的にはベテラン、と言っても良い職歴に近づきつつある自分でございますが、このマーコビィッツさんとオプション理論を構築したブラック/ショールズ両氏によって築かれた金融市場の発展を肌身で体感出来たことは幸運の至りだと感じています。もちろんアメリカと日本間の技術伝播の時間差によるものですが、90年代後半以降の本邦金融市場の発展にも大きな影響を与えた巨頭の一人であることは間違いありません。

直接お会いしたことはありませんが、後年興味を抱かれていた”不合理な判断”という人間の側面にも光を当てながら、あの世でもさらなるポートフォリオ理論の構築に邁進されていることでしょう。

合掌。

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